一日一言

名言 · 日々ひとつ
吟味されない人生は、生きるに値しない。
— ソクラテス(紀元前399年)
吟味されない人生は、生きるに値しない。
— ソクラテス(紀元前399年)

紀元前399年の裁判で有罪と決まった後、刑を論じる段でソクラテスが語った言葉。

10件の感想

プラトン『ソクラテスの弁明』38a

この言葉はプラトンが記した弁明の記録に残るもので、ソクラテス自身は著作を残していない。不敬神などの罪で有罪とされ、アニュトスが死刑を求めたのを受けて、彼はみずから刑を申し出る立場にあった。黙って異国で暮らせばよいという声を想定し、それでは神に背くことになると答え、日々徳について語り、自分と他人を吟味することこそ人間の最大の善だと述べる。

この一句は標語ではなく、黙って生き延びる道を拒む理由である。原文には「人間にとって」の語が添えられている。問い直すことをやめれば、生き延びても人として生きる意味を失う、というのが彼の考えである。そう言えばなおさら信じてもらえまい、とも彼は付け加えている。

名もなき読者 · 2016年3月12日
この一節に出会って、毎晩寝る前に一日をひとつだけ振り返るようになりました。小さな習慣ですが、続いています。
山田 · 2016年9月4日
学生の頃はただ暗記しただけでした。四十を過ぎて、ようやく意味が重くなってきた気がします。
T.O. · 2017年5月20日
ソクラテスは問い続けた人ですね。答えよりも問いを残す、というところが好きです。
本の虫 · 2018年2月8日
手帳のいちばん最初のページに書き写しました。開くたびに背筋が伸びます。
窓辺の読者 · 2019年7月15日
読書会でこの言葉をめぐって二時間話しました。結論は出ませんでしたが、楽しい夜でした。
朝寝坊 · 2020年11月30日
夜更かしして読んでいます。吟味しすぎて、かえって眠れない日もありますが…。
みどり · 2021年8月22日
少しだけ反論を。吟味しない日があってもいい、と最近は思います。ただ花を眺めるだけの一日も、人生のうちです。
青い栞 · 2022年10月3日
このブログを見つけて六年。最初に心に残ったのが、この言葉でした。
K.佐藤 · 2024年1月17日
子どもに「どうして考えるの」と聞かれて、うまく答えられませんでした。この一節をもう一度読み直しています。
ことり · 2025年12月9日
久しぶりに戻ってきました。上の方に昔の自分のコメントがあって、少し恥ずかしい。でも、まだ吟味しています。
何事においても、始まりこそ最も肝心な部分である。
— プラトン(紀元前375年頃)

プラトンの『国家』で、ソクラテスがアデイマントスに語る台詞。

1件の感想

プラトン『国家』第2巻377a

正しい国を論じる対話のなかで、ソクラテスは「われわれの英雄たち」の教育を物語として語ろうと提案する。体育より先に音楽を教えるべきなのは、物語が体育を学ぶ年齢に達する前の子どもに語られるからだと説き、どんな仕事も始まりが最も肝心だと述べて、「とりわけ若く柔らかなものについては」と続ける。性格が形づくられ、望む型が刻まれやすいのはその時期だからである。

一般論として語られた始まりの重みは、すぐに子どもの形成へ向けられ、子どもに聞かせる物語を検閲し、認められたものだけを母や乳母に語らせるという提案へつながる。最初に受け取るものが人を形づくるからこそ、何を最初に与えるかが問われるのである。

山田 · 2019年4月9日
何事も出だしが肝心。新年度の初日にこの言葉を読めて、ちょうどよかったです。
一羽のツバメが夏をつくるのではなく、一日の晴天もまた夏をつくりはしない。
— アリストテレス(紀元前330年頃)

幸福には完全な生涯が要るという議論のなかで、ツバメの句が置かれる。

アリストテレス『ニコマコス倫理学』第1巻第7章1098a

この一行は意訳で、文はさらに続く。アリストテレスは幸福について「完全な生涯において」と付け加え、その理由として、一羽のツバメも一日も春をつくらないと述べる。原文の季節は夏ではなく春で、「晴天」の語もなく、ただ「一日」とある。夏と晴天は、トムソンらの英訳の言い回しに由来する。ツバメの句は、ビザンツの辞典『スーダ』にことわざとして記録されている。

文はこう続く。同じように、一日や短い時間が人を至福にし幸福にすることはない。アリストテレスにとって幸福は、生涯を通じて測られる活動である。よい一日がひとつあっても、それで人生のよさが決まるわけではない、というのが一節の要点である。

幸福な人生に必要なものはごくわずかである。それはすべて、あなた自身のうちに、ものの考え方のうちにある。
— マルクス・アウレリウス(175年頃)

論理学や自然学を極める望みを失った自分を、マルクスが慰めた一文。

3件の感想

マルクス・アウレリウス『自省録』第7巻67節

この文は意訳で、第7巻67節にあるのは「幸福に生きることは、ごくわずかなものにかかっている」という前半だけであり、後半の一文はこの節には見当たらない。マルクスはここで、弁証家や自然学者になる望みを失っても、自由で慎み深く、人と交わり、神に従う者であることまで諦める必要はないと書き留めている。

『自省録』は皇帝が自分の導きのために記した覚え書きで、この一文も他人への助言ではなく、学問に望みを失っても幸福の条件は残る、という自分への慰めである。考え方に重きを置く後半の発想は、マルクス自身が別の箇所で語っている。人は自分の魂のうちへ退くことができ(第4巻3節)、魂は思いの色に染まる(第5巻16節)。

本の虫 · 2017年6月14日
持ち物を減らした年に読むと、哲学というより片づけの指南書に思えてきます。
みどり · 2019年10月2日
「ものの考え方のうちにある」。結局そこなのですね。手帳に書き写しました。
窓辺の読者 · 2022年12月18日
灰色の日曜に、お茶と一緒に読み返しました。これで十分でした。
善き人とはいかにあるべきかを論じて、これ以上時を無駄にするな。みずから善き人であれ。
— マルクス・アウレリウス(175年頃)

皇帝マルクス・アウレリウスが、他人ではなく自分に宛てて書いた覚え書き。

4件の感想

マルクス・アウレリウス『自省録』第10巻16節

『自省録』は、ローマ皇帝マルクス・アウレリウスが自分に宛てた私的な覚え書きとストア哲学の省察を集めたものである。第10巻16節のギリシア語は「善き人がどのような人であるべきかを、もはや一切論じるな、そのような人であれ」という意味で、「時を無駄にするな」はスタニフォースによる1964年の英訳の自由な言い回しに由来する。

すぐ前の15節で彼は、残された人生は短いと自分に書きつけている。善についての議論は、善く生きることの代わりにはならない。皇帝が自分自身に向けたこの短い叱責は、論じることと生きることの隔たりを埋めるのは、みずから善き人であることだけだという考えを示している。

T.O. · 2016年7月8日
最短の倫理の講義。この長さがちょうどよかった。
名もなき読者 · 2018年3月21日
「論じるな、みずから善き人であれ」。耳が痛いです。手帳に書き留めました。
朝寝坊 · 2021年9月5日
やかんの上に貼りました。やかんには反論できません。
青い栞 · 2023年11月16日
昔この言葉に出会って、今やっと素直に読めるようになりました。
私たちは現実よりも、想像のなかで苦しむことのほうが多い。
— セネカ(63年頃)

ネロのもとを退いた晩年のセネカが、ルキリウスに宛てた手紙の一節。

8件の感想

セネカ『ルキリウスへの手紙』第13書簡4節

セネカは晩年、十年以上仕えた皇帝ネロのもとを退いた後、シチリアの財務官だったルキリウスに一連の手紙を書いた。第13書簡は英訳で「根拠のない恐れについて」と題される。この一文の直前には、われわれを脅かすものは押しつぶすものより多いとあり、直後にセネカは、いまはストア派の口調ではなく穏やかな語り口で話していると断っている。

「想像」は英訳者ガマーの言葉に倣った訳語で、ラテン語の原語は思い込みや臆見を意味する。セネカの助言は、危機が来る前から不幸にならないことにある。恐れていた危険は来ないかもしれず、まだ来てもいない。苦しみの多くは出来事そのものより、出来事についての思いから生まれる。

朝寝坊 · 2016年4月3日
午前三時の心配性の守護聖人。来もしない災難を、何十年もリハーサルしてきました。
名もなき読者 · 2017年8月19日
手術の待合室に入る前に読みました。恐れは消えませんでしたが、名前がついて少し楽になりました。
山田 · 2018年12月11日
「心配帳」をつけています。書いて一か月後に見返すと、現実になった欄はほとんど空白です。
本の虫 · 2020年5月27日
少し反論を。想像の苦しみにも、身を守るための予行演習という面があると思います。見分けが難しいだけで。
みどり · 2021年10月14日
眠れない時期に手帳へ書き写しました。昼の光の中で読み返すのが、何よりの薬です。
窓辺の読者 · 2022年9月8日
読書会で「最初の認知療法家」と呼んでいます。少し時代錯誤で、少し本当。
青い栞 · 2024年2月20日
このブログに通って数年、いちばん必要だった一行が、これでした。
ことり · 2025年11月5日
新しい年、変わらぬ想像の破局。ここから過去の記事を読み直します。続けてくれて、ありがとう。
私たちに与えられた時間が短いのではない。その多くを浪費しているのだ。
— セネカ(49年頃)

ローマの穀物供給を監督していたパウリヌスに宛てた論考の冒頭近くの一文。

4件の感想

セネカ『人生の短さについて』第1章3節

この論考は紀元49年頃、ローマの穀物供給を監督する官職にあったパウリヌスに宛てて書かれた。パウリヌスはセネカの妻ポンペイア・パウリナの近い親族だったと考えられている。冒頭でセネカは、「人生は短く、技術は長い」という名高い医師の嘆きなど、生の短さをめぐる不満を取り上げ、それに答えるかたちでこの一文を置く。

彼の主張は、人生が短いということではなく、その逆である。人生は十分に長く、すべてをよく用いれば最も大きな事を成し遂げるにも足りる。われわれは短い生を受けたのではなく、自分で短くしているのであり、足りないのではなく浪費している。問題は時間の量ではなく、その使い方にある。

山田 · 2016年10月12日
読んでアプリを三つ消しました。午後が倍の長さに感じられました。
T.O. · 2018年7月30日
想像の苦しみの一節と対になる言葉ですね。セネカには見抜かれています。
みどり · 2021年5月9日
庭での時間は、決して無駄に感じません。たぶんそれが、使い方の話なのでしょう。
本の虫 · 2023年9月22日
耳が痛い。でも、休むことは浪費ではない、と遠回りして学びました。
人の心を乱すのは物事そのものではなく、物事についての見方である。
— エピクテトス(108年頃)

弟子アッリアノスが師エピクテトスの教えを編んだ手引きに残る言葉。

3件の感想

エピクテトス『提要(エンケイリディオン)』第5章

『提要』はエピクテトス自身の著作ではなく、弟子アッリアノスが師の教えから実践的な訓戒を編んだ手引きで、紀元125年頃の成立とされ、材料の約半分は108年頃の『語録』に由来する。アッリアノスは、聞いた言葉をできるだけ師の言葉のまま書き留めようとしたと述べている。第5章は、恐ろしいのは死ではなく、死は恐ろしいという判断だと続く。

「見方」と訳された語ドグマタは、気分や感情ではなく、物事についての判断や信念を指す。『提要』はまた、妨げられ、心を乱され、悲しむとき、その原因を他人ではなく自分の判断に帰すべきだと言う。心を乱すものの源を外の出来事ではなく自分の判断に置くことが、この一文の要である。

名もなき読者 · 2018年4月16日
ストア哲学の要が、この一行に。あとはすべて注釈ですね。
つぐみ · 2019年6月23日
曇りの日を「どんよりした日」と呼ぶのをやめたら、窓の外がただのやわらかい灰色になりました。
窓辺の読者 · 2021年7月8日
うなずくのは簡単ですが、その「物事」が診断結果となると、実践は過酷です。それでも真実だと思います。
まず、自分が何者でありたいかを自らに言え。しかるのちに、なすべきことをなせ。
— エピクテトス(108年頃)

見せびらかすために朗読や議論をする人々を戒める章の、最初の一文。

エピクテトス『語録』第3巻第23章1節

『語録』はエピクテトスの講義を弟子アッリアノスが記録したもので、彼は聞いた言葉をできるかぎり師の言葉のまま書き留めようとしたと述べている。第3巻第23章はこの一文で始まる。ギリシア語の後半は「そのうえで、それに従って自分のしていることをせよ」という意味で、「なすべきことをなせ」はエリザベス・カーターの英訳の言い回しに近い。

エピクテトスは続けて、運動選手もまず何になりたいかを決めると言い、人を講義に誘う者には、役に立ちたいのか、ほめられたいのかを問う。何者でありたいかを先に定めるとは、称賛のためではなく、目指すもののために行いを整えることである。

何人も、同じ川に二度足を踏み入れることはできない。
— ヘラクレイトス(紀元前500年頃)

「二度」の形は、プラトンの対話篇でソクラテスが語った言い換えに由来する。

4件の感想

ヘラクレイトス断片B12、プラトン『クラテュロス』402a

ヘラクレイトスは紀元前500年頃に活動したエフェソスの哲学者で、謎めいた言葉で語った。この文は意訳で、「同じ川に二度入ることはできない」という形は、プラトンの『クラテュロス』でソクラテスが語る言い換えであり、プルタルコスにも似た言い方がある。研究者が本人の言葉とみる断片B12は、「同じ川に入る者に、次々と別の水が流れ寄る」と言う。

B12では、川は同じままで、流れ寄る水だけが別のものになる。変わり続ける水と変わらない川が一つの流れのなかで両立していることから、この断片は対立物の一致の言明とも読まれる。エウセビオスによれば、彼はこの川を魂になぞらえてもいる。

みどり · 2016年9月14日
川にも言えますが、庭にはもっと当てはまります。同じように芽吹くものは、ひとつもありません。
山田 · 2018年2月19日
末の子が家を出た週に読みました。川は流れ続け、私たちもまた同じでした。
青い栞 · 2020年10月3日
同じ川の同じ淵を一年おきに撮った写真の横に、書き写しました。言葉の通りでした。
ことり · 2023年6月25日
六歳の娘が「でも、まだ川だよ」と。ヘラクレイトス対園児、どちらの勝ちか分かりません。
太陽は日ごとに新しい。
— ヘラクレイトス(紀元前500年頃)

太陽は湿気を糧にするという説を退ける際に、アリストテレスが引いた言葉。

ヘラクレイトス断片B6、アリストテレス『気象論』第2巻355a

この言葉は、アリストテレスの『気象論』が伝えるヘラクレイトスの説で、ディールスはそのうち「日ごとに新しい」の部分を断片B6として収める。アリストテレスは、太陽が立ちのぼる湿気を糧にしているという説を誤りとして退ける。火がその上の水を糧にしないように、太陽も自らが引き上げる湿気を糧にはしない、というのである。

反論によれば、もし太陽がそのように養われているなら、ヘラクレイトスの言うように日ごとに新しいだけでなく、絶えず新しいことになる。この言葉は再出発の比喩ではなく、太陽の糧をめぐる議論の一部である。ヘラクレイトスは天体を、明るい蒸発気が集まって燃える器と考えていたとも伝えられる。

庭園と書斎があれば、必要なものはすべて揃っている。
— キケロ(紀元前46年)

ウァロの来訪をめぐって紀元前46年6月に書かれた、冗談まじりの短い手紙から。

4件の感想

キケロ『友人宛書簡集』9.4(ウァロ宛)

この文は後世の格言の形による意訳である。キケロは紀元前46年6月、トゥスクルムからウァロに宛てた短い手紙で、「可能」と「必然」の論理をもじって彼の来訪を冗談めかして論じ、来ないなら自分が駆けつけると書いたうえで、「書斎に庭があるなら、何ひとつ欠けるものはない」と記した。

「庭園と書斎」の対と「必要なものはすべて」は、文脈を離れた後の格言の形である。原文の「何ひとつ欠けない」は訪問についての言葉で、シャクバラはこれを「すべてが整う」と訳す。「書斎のなかの庭」が何を指すかは定かでなく、シャクバラは奇妙な言い方だとしつつ、アカデメイアの哲学者のように座って語り合う庭だろうと推している。

本の虫 · 2017年5月20日
知らぬ間に座右の銘にしていた言葉。庭の戸と本棚のあいだの廊下に、額装して掛けました。
みどり · 2019年8月8日
「やかんも」と付け足したいところですが、それ以外は完璧です。
窓辺の読者 · 2021年11月16日
小さな部屋に引っ越しました。棚ひとつ、窓辺に鉢三つ。「すべて」の意味が、よく分かりました。
青い栞 · 2024年3月3日
教室に読書コーナーと窓辺の花壇をつくりました。子どもたちが落ち着きます。キケロは分かっていた。
感謝は最大の徳であるばかりでなく、ほかのすべての徳を生み出す母である。
— キケロ(紀元前54年)

紀元前54年、キケロが選挙違反に問われたプランキウスを法廷で弁護した際の言葉。

4件の感想

キケロ『プランキウス弁護』80節

プランキウスは、追放中のキケロをテッサロニケの公邸に迎えた恩人だった。告発側はキケロがその恩を誇張していると責め、キケロは自分の感謝は自分で量ると応じる。80節で彼は、感謝の心を持ち、かつそう見られることほど望むものはないと述べ、この一文を続ける。

ラテン語の原文でも、感謝はほかの徳の「母」(mater)と呼ばれる。キケロはさらに、孝心とは親に向けた感謝にほかならないと言い、よき市民もまた受けた恩を忘れない人だとする。感謝は内に抱くだけでなく人前で示される徳であり、恩を覚えていることがほかの徳の根になるという見方である。

山田 · 2016年5月14日
毎朝これを読んでから一日を始めるようにしています。小さな感謝に気づけるようになりました。
名もなき読者 · 2019年9月2日
徳の母、という言葉にはっとしました。感謝が他の良いものを生むという考え方は新鮮です。
みどり · 2022年12月25日
子どもに「ありがとう」を一日一回言う練習を始めました。親の私のほうが変わった気がします。
窓辺の読者 · 2025年2月8日
通勤電車で読みました。今日は誰かに感謝を伝えてみようと思います。
之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す、是れ知るなり。
— 孔子(紀元前500年頃)

孔子が弟子の子路に語った言葉として、『論語』に記録される。

孔子『論語』第二篇第十七章

『論語』は孔子の言葉を集めた書で、伝統的には弟子たちが編んだとされ、多くの部分は戦国時代に成ったと考えられている。この章は「子曰く、由、女に之を知るを誨えんか」と始まり、由は子路の名である。子路は勇敢で向こう見ず、学ぶより動くことを好む人物として描かれる。

知っていることは知っているとし、知らないことは知らないとする。その区別を偽らずに保つことを、孔子はそのまま「知る」ことだと呼ぶ。先走りがちな弟子に向けて、自分の知の境目を正直に認めることが知ることの中身だと説いた言葉である。

学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し。
— 孔子(紀元前500年頃)

孔子の言として、戦国時代に編まれたとされる『論語』が記録する一句。

4件の感想

孔子『論語』第二篇第十五章

『論語』は孔子の言葉を集めた書で、現代の研究者の多くは二百年ほどかけて編まれたと見る。この章は「子曰く」に続けて、学ぶこと(學)と考えること(思)を対にして、学んで考えなければ「罔し」、考えて学ばなければ「殆し」と言う。レッグの英訳はこれを「labour lost」と「perilous」とする。

罔は混乱とも徒労とも訳される語で、殆は危うさをいう。孔子は別の章で、一日食べず一晩眠らずに考え続けたが益がなく、学ぶに如かずと述べる。考えることを学ぶことの上に置くのではなく、両者がそろって初めて知が実を結ぶという教えである。

本の虫 · 2017年6月19日
「学びて思わざれば則ち罔し」。原文で覚えていましたが、英訳も味わい深いですね。
T.O. · 2020年11月11日
情報を集めるだけで分かった気になっていた自分に刺さりました。立ち止まって考える時間を作ります。
山田 · 2023年8月3日
子どもに勉強しろとは言うけれど、考えろとは言っていなかったなと反省。
ひばり · 2024年6月2日
積ん読が本棚二段分になりました。学ぶ手前で止まっていて、「罔し」にも「殆し」にもまだ届きません。
堅強なる者は死の徒、柔弱なる者は生の徒なり。
— 老子(紀元前300年頃)

人も草木も生きているときは柔らかく、死ねば硬くなるという観察から導かれる結論。

老子『道徳経』第七十六章

第七十六章は、人は生きているとき柔らかく弱く、死ぬと堅くこわばると述べ、草木も同じだとしたうえでこの句を置く。章はさらに、強さを頼む軍は勝たず、強い木は伐られると続け、強大なものは下に、柔弱なものは上に位置すると結ぶ。この章は最古の郭店楚簡には見えず、馬王堆の帛書で初めて確かめられる。

柔弱とは単なるしなやかさではなく、柔らかく弱いことを指す。硬さや武力に頼る強さこそ死の側にあり、柔らかく弱いものが生の側にあるという逆転が、この章の主眼である。別の章でも、柔は剛に、弱は強に勝つが、それを行える者はいないと述べられる。

人を知る者は智、自らを知る者は明なり。
— 老子(紀元前300年頃)

同じ章は続けて、人に勝つより自分に勝つほうを強さと呼ぶ。

老子『道徳経』第三十三章

『道徳経』は伝統的に老子の作とされるが、その人物の実在には議論があり、成立年代も定まらない。第三十三章は人を知る者と自らを知る者を対にして始まり、人に勝つ者と自らに勝つ者を並べ、足るを知る者を富むとする。王弼本に付された注は、人を知るのは賢さにすぎず、自らを知ることはその賢さを超えると説く。

「明」は仏教の悟りではなく、物事をはっきり見通すことをいう。この章は、他人を見抜く賢さより、自分を曇りなく見ることを上に置く。外への勝ち負けより内なる克己と満ち足りることを重んじる考えが、続く句にも通じている。

かつて私が夢で胡蝶となったのか、それとも今、胡蝶が夢で私となっているのか。
— 荘子(紀元前325年頃)

『荘子』斉物論篇を締めくくる、荘周が蝶になった夢の話の一節。

8件の感想

荘子『荘子』内篇・斉物論

斉物論篇の末尾で、荘周は蝶になった夢から覚め、周が夢で蝶になったのか、蝶が夢で周になったのか分からなくなる。原文は荘周を三人称の「周」で語り、訓読は「知らず、周の夢に胡蝶と為れるか」と始まる。訳文の「私」や「かつて」「今」は解釈を加えたものである。

話は、周と蝶には必ず区別があるはずだとし、これを「物化」と名づけて閉じる。物化とは物の移り変わりのことである。夢と現、自分と他のものとの境目を固定せず、移り変わりの中に置き直すところに、万物を等しく見る斉物論の考えがある。

名もなき読者 · 2016年2月20日
大学の授業で初めて知ってから、折に触れて思い出します。この一文だけで一生考えられますね。
青い栞 · 2016年10月5日
鮮やかな夢から覚めた朝、いつもこの胡蝶の夢を思い出します。どちらが本当なのか、しばらく布団の中で。
T.O. · 2018年4月14日
娘に読み聞かせたら「わたしは夢なの?」と聞かれて答えに詰まりました。子どもは哲学者です。
本の虫 · 2019年12月1日
荘子のこの話、何度読んでも底が知れません。答えを出さないところがいい。
みどり · 2021年7月7日
通勤のトンネルを抜けるとき、なぜかいつもこの一節が浮かびます。
朝寝坊 · 2022年9月23日
寝坊の言い訳にしています(笑)。まだ蝶の夢の中かもしれないので。
K.佐藤 · 2024年5月30日
読書会でこの句を取り上げたら、一晩中議論になりました。デザートを頼むのを忘れたほどです。
窓辺の読者 · 2026年1月12日
このブログを朝のお茶とともに読むようになって十年。新しい友人にはまずこの回を勧めます。
今の私たちは、すべてこれまで思い考えてきたことの結果である。
— ブッダ(紀元前450年頃)

1870年、マックス・ミュラーが英訳した『ダンマパダ』冒頭の詩句の意訳。

3件の感想

ブッダ『ダンマパダ』第1偈、ミュラー英訳より

『ダンマパダ』は、伝統的にブッダが折々に説いたとされる詩句を集めた書である。第1偈のパーリ語は、心がもろもろの思い(ダンマ)に先立ち、心がその主であり、その質は心によって作られると言い、中村元の訳では「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される」となる。「今の私たち」という言い方はミュラーの英訳に由来する。

偈はさらに続き、汚れた心で話し行う者には、車を引く牛の足跡に車輪が従うように苦しみが付き従うと説く。伝統的な解釈では、ここでいう心は意図であり、意図ある行いが業となって人に付き従う。心の質が、行いを通じてそれにふさわしい結果を招くという倫理の言葉である。

みどり · 2018年3月8日
今日の自分は昨日までの考えの結果。耳が痛いですが、だからこそ希望でもありますね。
名もなき読者 · 2020年10月16日
朝いちばんに何を考えるかで一日が決まる気がします。スマホを見る前に、まずこれを。
青い栞 · 2023年6月2日
少し運命論的かな、とも思いますが、不安な日には救われる言葉です。
怨みは怨みによっては止まず、ただ愛によってのみ止む。これが永遠の真理である。
— ブッダ(紀元前450年頃)

『ダンマパダ』第5偈の意訳で、原文は愛ではなく「怨みなきこと」を説く。

5件の感想

ブッダ『ダンマパダ』第5偈

第5偈のパーリ語は、この世で怨みは怨みによって静まらず、怨みなきことによって静まり、これは永遠の法であると言う。中村元の訳では「怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」。「愛によって」の部分はミュラーの英訳に由来し、ジャヤワルダナが1951年にサンフランシスコで行った演説の日本語訳も「ただ愛によってのみ止む」と引く。

伝統的な注釈は「怨みなきこと」を慈しみと解し、怨みに怨みを返さず、慈しみで乗り越えることを説く偈と読む。ミュラーは結びを「古い掟」と訳したが、原語は永遠の法を意味する。報復の連鎖は報復では断てず、手放すことでしか止まないという道理である。

山田 · 2016年9月14日
兄と長く仲違いしていた時期、この言葉を手帳に挟んでいました。今はまた話せています。
本の虫 · 2018年5月21日
「永遠の真理」とは大きく出たものだと若い頃は思いましたが、歳を重ねるほど頷けます。
K.佐藤 · 2020年12月3日
満員電車で誰かにぶつかられてイラッとした朝、これを思い出して深呼吸しました。小さなことから。
ことり · 2022年7月19日
以前載っていたキング牧師の「光と闇」の言葉と重なりますね。同じ川の両岸のようです。
窓辺の読者 · 2024年11月8日
二千五百年前の言葉が、いまだに世界で一番難しい。毎日の戒めに感謝します。
千里の道も一歩から始まる。
— 老子(紀元前300年頃)

巨木も高台も小さな始まりから成るという、三つのたとえの最後に置かれた句。

3件の感想

老子『道徳経』第六十四章

第六十四章は、ひと抱えもある木も毛先ほどの芽から生じ、九層の台も積み上げた土から起こると述べ、最後に旅を挙げる。訓読では「千里の行も、足下より始まる」で、千里の旅は足もとから始まるという意味である。「一歩」の語はレッグの英訳にも見え、日本では「千里の道も一歩から」がことわざとして用いられる。

章はこの前に、事が形をなす前に手を打ち、乱れる前に治めることを説き、直後には、ことさらに為す者は損ない、執る者は失うと戒める。大事は小さなうちに扱えば成るが、成果をつかもうと力むことはかえって害になる。始まりの小ささを尊ぶことと、作為や執着を退けることが一続きになっている。

朝寝坊 · 2017年4月4日
使い古された言葉だと思っていましたが、実際に一歩踏み出すとやはり効きますね。近所を一周することから始めました。
山田 · 2019年8月30日
冷蔵庫に貼っています。一日に飲み込まれる前に、これを見るために。
ことり · 2023年1月15日
この言葉を読んだ朝に語学アプリを始めました。もう千日以上続いています。
上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず。
— 老子(紀元前300年頃)

この文はさらに、水は人の嫌う低い場所に身を置くと続く。

4件の感想

老子『道徳経』第八章

『道徳経』は伝統的に老子の作とされるが、その人物の実在には議論があり、成立年代も定まらない。第八章は最高の善を水にたとえて始まり、水は万物に利益を与えて争わず、多くの人の嫌う所に居るので道に近い、と続ける。王弼の注は、その嫌われる所を低くいやしい位置と解く。

水は万物に利をもたらしながら他と争わず、誰も望まない低みに自ら身を置く。争わないことは穏やかさだけでなく、へりくだりと結びついている。章の後段も、争わない者は誰からも咎められないと述べる。善の極みを、利をもたらしつつ下に就く姿に見る考えである。

みどり · 2016年7月14日
庭仕事をしていると、この句が身にしみます。水は何も求めず、すべてを潤す。子育てもそうありたいのですが、なかなか。
本の虫 · 2019年3月2日
「争わず」がいちばん難しい。今の世の中、争う声が大きすぎて。
青い栞 · 2021年11月20日
朝、老子を少しずつ読んでいます。この章で本を置いて、しばらく雨を眺めてしまいました。
名もなき読者 · 2024年9月8日
水は柔らかいけれど、石をも穿つ。この優しさには強さがあることを忘れがちです。
善と悪という観念の彼方に、ひとつの野原がある。そこであなたと会おう。
— ルーミー(1250年頃)

バークスの英語版に基づく意訳で、原詩の野原は不信仰とイスラームの彼方にある。

10件の感想

ルーミー『シャムセ・タブリーズ詩集』四行詩157、バークスとモインの英語版

ルーミーは1244年に修行者シャムスと出会って神秘家へと転じ、この詩集の多くは1247年頃以降に書かれたと考えられる。ペルシア語の原詩は、不信仰とイスラームの彼方に野原があり、その中に「われら」の憧れがあると詠み、そこに至った知者は頭を垂れる、そこには不信仰もイスラームも「そこ」すらないからだ、と結ぶ。善と悪の対や「会おう」という呼びかけは、ペルシア語を読まずに他の英訳を書き直したバークスの版によるものである。

野原は、不信仰とイスラームという区別そのものを越えた境地のたとえである。そこへ至った神秘家の知者は頭を垂れてひれ伏し、区別の彼方への到達は拝礼の姿で描かれる。

窓辺の読者 · 2016年2月2日
祖母の台所に、二つの言語でこの詩が貼ってありました。ここで再会できて、帰ってきたような気持ちです。
名もなき読者 · 2016年6月19日
いくつもの訳を読みましたが、「そこであなたと会おう」のこの訳がいちばん胸に来ます。
本の虫 · 2017年1月11日
善悪の彼方の野原。喧嘩した相手を思い浮かべながら読むと、少し肩の力が抜けます。
T.O. · 2018年9月5日
このブログを見つけた日に手帳に書き写しました。今でも最初に開くページです。
青い栞 · 2019年12月1日
少し異論を。その野原はルーミーが言うほど簡単には行き着けない気がします。でも、招いてもらえるのは嬉しい。
みどり · 2021年4月22日
夫婦喧嘩が平行線になると「野原で会おうね」と言い合っています。ルーミーが夫婦カウンセラー代わりです。
朝寝坊 · 2022年8月3日
八百年前の言葉が、今朝のどのニュースよりも静かで、どれよりも本当に感じます。
K.佐藤 · 2023年10月10日
庭の隅に野の花を植えました。野原とまでは言えませんが。六月に咲くたびこの一節を思います。
ことり · 2024年11月16日
この一節を探してこのブログに辿り着き、それから毎朝ここにいます。ありがたいことです。
窓辺の読者 · 2026年1月20日
十年ぶりにまた。今週は孫に読んで聞かせました。台所の壁、二つの言語。ぐるりと一周です。
仕事とは、目に見える形になった愛である。
— カリール・ジブラン(1923年)

船出を前にした預言者アルムスタファが、農夫の問いに答えて語る台詞。

1件の感想

ジブラン『預言者』「仕事」の章

『預言者』は1923年にニューヨークで刊行された書で、レバノン系アメリカ人のジブランが英語で書いた26の散文詩から成る。この言葉を語る預言者アルムスタファは、十二年暮らした町オルファリーズを離れ、故郷へ船出しようとしている。その彼に、ひとりの農夫が仕事について語るよう求める。

アルムスタファは、仕事を呪いとする考えを退け、大地の最も遠い夢の成就と呼ぶ。そのうえでこの句を置き、嫌々働く者はむしろ仕事を離れて神殿の門で施しを乞うほうがよい、無関心に焼いたパンは人の飢えを半分しか満たさないと続ける。仕事の価値は勤勉そのものではなく、込められた愛にあるという教えである。

K.佐藤 · 2019年2月14日
仕事とは目に見える愛、という一言に救われます。意味を見失いそうな朝に、そっと思い出します。
木々は、大地が天に書きつける詩である。
— カリール・ジブラン(1926年)

1926年刊の箴言集『砂と泡』の一句で、原文には続きがある。

4件の感想

カリール・ジブラン『砂と泡』

『砂と泡』は「箴言の書」と副題された本で、詩人が砂と泡のあいだの岸辺をいつまでも歩くという詩で始まる。この一句は、竜はみな自分を倒す聖ジョージを生むという箴言の後に置かれる。この文は前半だけを取った意訳で、原文は「我々は木を切り倒して紙に変え、そこに自らの空しさを書き記す」と続く。

大地が空に書く詩と木を讃えた直後に、ジブランはその木を切って紙にし、空しさを書きつける人間の姿を置く。讃美はそのまま人間への皮肉に転じ、それがこの箴言の要である。すぐ次の箴言は、書くことを望むなら知識と技と魔法が要ると説く。大地の詩を倒してまで書く者に、空しさのほかに何を記すのかを問う一句である。

みどり · 2016年5月12日
窓から見えるケヤキが、まさに空に書かれた詩のようです。さっそく手帳に写しました。
佐々木 · 2019年3月3日
ジブランは言葉がやわらかいですね。朝の一杯と一緒に読むのが習慣になりました。
T.O. · 2022年8月21日
街路樹の下を歩くたびにこの一文を思い出して、つい見上げる癖がつきました。
青い栞 · 2024年11月9日
読書会で紹介したら、みんなしばらく黙ってしまいました。良い沈黙でした。
美とは、鏡に映る己を見つめる永遠である。
— カリール・ジブラン(1923年)

預言者アルムスタファが、美について問う詩人に答える台詞。

カリール・ジブラン『預言者』「美について」の章

『預言者』は、オルファリーズの町で十二年、故郷の島へ帰る船を待った預言者アルムスタファが、人々に生の主題を語る書である。この章で一人の詩人に美について語れと求められ、彼は答える。この文は対をなす二文の一文目の意訳で、原文は「だがあなたがたこそ永遠であり、鏡である」と続く。

彼は、人々が美と呼んできたものは満たされない欲求にすぎず、美は欲求ではなく恍惚だと告げる。永遠が鏡に映る自らを見つめるという像は、続く一文で聞き手自身に向け返される。同じ章には、美とは聖なる顔を明かす生だが、あなたがたが生であり覆いだという対の文もある。美は外に探すものではなく、見る者自身のうちにあるという教えである。

生は夏の花のように美しく、死は秋の葉のようにあれ。
— ラビンドラナート・タゴール(1916年)

タゴールが日本と米国で講演した1916年に刊行された短詩集の一篇。

5件の感想

タゴール『迷い鳥』第82篇

『迷い鳥』は1916年にニューヨークのマクミラン社から出た短い詩句を集めた本で、横浜のT・ハラに献じられている。巻頭の第1篇は、夏の迷い鳥が窓辺に来て歌っては飛び去り、歌をもたない秋の黄葉がため息とともに舞い落ちると詠む。第82篇は、この夏と秋の対を生と死に重ねる。

英語の原文は、生には「夏の花のように美しく」と言い、死には「秋の葉のように」とだけ添える。巻頭の秋の葉は、歌わずにため息とともに散る葉だった。二篇後の第84篇は、死においては多が一となり、生においては一が多となると書く。夏の花と秋の葉とを並べ、生にも死にもそれぞれにふさわしい姿があるようにと願う句である。

本の虫 · 2016年9月30日
祖母を見送った年にこの言葉に出会いました。落ち葉のように、と思えたら少し楽になりました。
窓辺の読者 · 2019年4月17日
生を夏の花に、死を秋の葉に。タゴールの対比がほんとうに美しいですね。手帳に残します。
朝寝坊 · 2021年10月6日
紅葉を見に行った帰りにこの投稿を思い出しました。季節のめぐりとして受け止められる気がします。
K.佐藤 · 2023年12月1日
読書会で話題になりました。終わりではなく移り変わり、という読み方に救われました。
ことり · 2025年11月23日
何年も前からここを読んでいます。今日も変わらず言葉が置いてあって、ありがたいです。
蝶は月を数えず、瞬間を数える。それでも時は十分にある。
— ラビンドラナート・タゴール(1928年)

初めの形では、蝶が数えないのは月ではなく年だった。

2件の感想

タゴール『蛍』(1928年)

『蛍』は1928年にニューヨークで刊行された短詩集で、タゴールは序文で、これらの詩句は中国と日本で扇や絹に自筆の言葉を求められたことに始まると記す。1926年11月にハンガリーで記された添え書きをもつ二言語の書『レカン』には、この句の初めの形がベンガル語の二行詩と英語で載る。

『蛍』の英語は「そして時は十分にある」と並べるだけだが、『レカン』の英語は「だから時は十分にある」と結び、時が足りる理由を、年ではなく瞬間を数えることに置いていた。二つ前の句でタゴールは、重い著作が沈んだ後も、軽い言葉は時の波に踊るかもしれないと書く。時の豊かさは長さではなく、一瞬一瞬を生きることから来るという考えである。

みどり · 2020年7月14日
瞬間を数える、という発想が好きです。焦っている自分に言い聞かせています。
つぐみ · 2023年9月18日
夕焼けの色が変わっていくのは、ほんの数分です。それでも見ているあいだは、少しも短く感じません。
木々は、耳を澄ます天に語りかけようとする大地の、終わりなき努力である。
— ラビンドラナート・タゴール(1928年)

中国と日本で扇や絹に書いた短句に始まる詩集『蛍』の一句。

タゴール『蛍』(1928年)

『蛍』は1928年にニューヨークで刊行された短詩集で、タゴールは自分の空想を、闇にまたたく生きた光の粒である蛍と呼ぶ。この句のすぐ後には、自分を笑うと自我の重荷が軽くなるという句が置かれる。『レカン』では、自分を笑うその句のそばに、母が古い木々で果てしない驚きをこめて空を指すという、別の形の木が見える。

『迷い鳥』第41篇では、木々は大地の憧れのように爪先立って天をのぞいていた。ここでは木が、耳を澄ます天へ語りかけようとする大地の努力となり、天もまた聞き手として描かれる。終わりのない努力という言葉に、地上が天へ語りかけてやまない姿が重なる。

古池や蛙飛び込む水の音
— 松尾芭蕉(1686年)

1686年刊の句合『蛙合』で、一番の左という最高の位置を占めた句。

11件の感想

松尾芭蕉『蛙合』一番左

芭蕉は初め「蛙飛び込む水の音」だけを示して上五を門人に考えさせ、其角の「山吹や」を受けて「古池や」と定めたという。古池はおそらく、杉風が川魚を放していた庵のそばの池である。深川の芭蕉庵での句合で詠まれたのか、句が句合を促したのかは定かでない。

それまでの和歌や連歌は蛙をほとんど詠まず、詠むときは鳴き声に耳を向けた。この句は飛び込む蛙と水の音をとらえる。古い題材も、目を向ける所を変えれば新しくなる。禅の影響もうかがえるが、深遠な解釈や伝説の多くは句の名高さが生んだ。英訳にはR・H・ブライスの「The old pond: A frog jumps in,- The sound of the water.」などがある。

山田 · 2016年2月8日
やはりこれですね。何度読んでも「水の音」で世界がすっと静かになります。
本の虫 · 2016年6月19日
英訳で読むとまた違う味わいがありますね。原句の余白がちゃんと残っている。
名もなき読者 · 2017年10月3日
学生の頃は意味を探していました。意味などない、と気づくのに何年もかかりました。
川辺 · 2018年12月11日
近所の池のそばで小さく口ずさんでみました。少し恥ずかしくて、とても静かな心持ちに。
K.佐藤 · 2019年7月1日
句会でこの一句だけで一晩語り合いました。ほんとうに尽きることがありません。
青い栞 · 2021年3月27日
手帳の最初のページに書いてあります。机の上で一番静かなもの。
T.O. · 2022年9月14日
三百年以上前の蛙が、今でも人の手を止めさせるというのが面白いです。
みどり · 2023年11月2日
子どもに教えたら、池を見るたびに「ぽちゃん」と言うようになりました。
朝寝坊 · 2024年5月20日
古池や、の「や」の切れがすべてですね。訳でもその間が生きていて感心しました。
ことり · 2025年8月8日
何年も通っています。今日も変わらずここにあって、ほっとしました。
山田 · 2026年1月15日
このブログで一番好きな投稿は、やっぱりこれに戻ってきます。
日々旅にして旅を栖とす。
— 松尾芭蕉(1694年頃)

『おくのほそ道』冒頭で、舟や馬とともに生きる人々を述べた一節。

4件の感想

松尾芭蕉『おくのほそ道』冒頭

冒頭は、月日は百代の過客で、行きかう年もまた旅人だと始まる。続いて、舟の上に生涯を浮かべる船頭や、馬の口をとらえて老いを迎える馬子は、日々旅にして旅を栖とすと述べる。この形はその主語を省いた抄出である。文は古人も多く旅に死んだと続き、芭蕉は、自分もいつの年からか片雲の風に誘われて漂泊の思いがやまないと書く。紀行は1689年の旅ののち推敲を重ね、1694年に成った。

古人とは、芭蕉が敬った李白、杜甫、西行、宗祇らを指し、冒頭の一句も李白の「光陰は百代の過客なり」に拠る。旅を住まいとする人々と旅に死んだ詩人たちを並べたうえで、芭蕉は自らをその列に置く。旅を生き方そのものとする考えである。

窓辺の読者 · 2017年4月5日
『おくのほそ道』の冒頭ですね。独立して読むと、またいっそう沁みます。
本の虫 · 2020年1月22日
日々旅にして、という一節を新しい手帳の最初のページに書きました。
T.O. · 2022年6月30日
単身赴任の朝に読みました。旅を栖とす、と思えば寂しさが少し和らぎます。
K.佐藤 · 2024年10月15日
芭蕉は旅そのものを住まいにした人ですね。憧れつつ、こたつから動けない自分がいます。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
— 道元(1233年)

1233年、鎮西(九州)の在家の弟子、楊光秀に書き与えられた巻の一節。

道元『正法眼蔵』「現成公案」

「現成公案」は、道元みずから『正法眼蔵』七十五巻の第一に据えた巻で、初心の者を仏道に導く序の役を担う。この句は、仏道をならうとは自己をならうことだという一文に続き、さらに、自己をわするるとは万法に証せらるることだと連なる。

「ならふ」とは書物で学ぶことではなく、身心にしみこむまで日々くり返し行ずることに近い。「わするる」は自分を粗末にすることではない。文は、万法に証せらるるとは自己と他者の身心を脱落させることだと続く。現代の研究者はここに、自己と他者や世界との一体の場を読む。自分へのこだわりを離れたとき、自己はかえって万物の側から明らかにされるという教えである。

初心者の心には多くの可能性があるが、熟達した者の心にはわずかしかない。
— 鈴木俊隆(1970年)

1965年の講話をもとに編まれ、1970年に出た本の序章冒頭の一文。

9件の感想

鈴木俊隆『禅マインド・ビギナーズ・マインド』序章

この本は、弟子が録音した鈴木俊隆の講話を、トルーディ・ディクソンとリチャード・ベイカーが選んで章立てしたもので、1970年に刊行された。編者は編集を鈴木本人とともに見直した。序章は1965年11月のロスアルトスでの講話から編まれ、講話では「熟達した心にはあまり可能性がない」という言い方だった。

講話で鈴木は「初心」の語を説き、それを常に保つことを修行の目標とする。禅の本も新鮮な心で読まねばならないと言う。序章は、初心とは閉じた心ではなく、空っぽで用意のある、何にでも開かれた心だと述べ、分別しすぎれば自分を限ると続ける。熟達を退ける言葉ではなく、どれだけ修めても心を開いておくための戒めである。

本の虫 · 2016年3月12日
この投稿がきっかけで『禅マインド ビギナーズ・マインド』を読書会で読みました。感謝です。
山田 · 2016年9月8日
教える立場になると、この言葉が少し痛いです。可能性を見失いがちで。
ゆき · 2018年2月19日
五十を過ぎてギターを再開しました。初心、という言葉にずっと支えられています。
みどり · 2020年5月3日
熟達した者の心にはわずかしかない、という後半こそ大事だと思います。手帳に。
朝寝坊 · 2021年11月27日
転職した年に読みました。初心者の不安が、むしろ強みに思えてきて。
青い栞 · 2023年4月14日
分かったつもりになるたびに読み返しています。たいてい間違っているので。
K.佐藤 · 2024年8月1日
読書会で議論になりました。熟達は喪失か、ただの集中か。良い夜でした。
窓辺の読者 · 2025年10月9日
新しいスケッチブックの一ページ目に。下手な絵を自由に描くための戒めです。
ことり · 2026年2月2日
つらい日に戻ってきました。やはり本当のことで、思わず頭が下がります。
なかぞらにひとりありあけのつきをみてのこるくまなくみをぞしりぬる
— 和泉式部(1000年頃)

語らっていた男に別の男が来合わせ、二人とも帰った後に贈った歌。

3件の感想

和泉式部『玉葉和歌集』1476番

和泉式部は976年頃の生まれとされる平安中期の歌人で、紫式部と同時代の人である。詞書の語るこの場面を、注釈は恋人どうしの鉢合わせと読む。歌を収める勅撰集『玉葉和歌集』の奏覧は、約三百年後の1312年である。

「なかぞら」は月のかかる中空と、どっちつかずの意を掛け、「ひとりありあけ」は独りある身と有明の月を言い掛ける。「のこるくまなく」は曇りない月光と、すべてはっきりとの意を重ねる。中空に残る有明の月を独り見て、情けない我が身をすっかり思い知った、という歌である。恋の嘆きが、そのまま自分を見つめる歌にもなっている。

青い栞 · 2017年9月21日
千年前の和泉式部が、有明の月の下でこれを。のこるくまなく、という言葉に息をのみます。
窓辺の読者 · 2021年1月6日
孤独をただ嘆くのではなく、自分を丸ごと知ることとして詠むのですね。手帳に写しました。
みどり · 2024年6月15日
眠れない夜に窓辺で読みました。いい意味で、少し苦しいほどでした。
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に
— 小野小町(850年頃)

『古今和歌集』春の下巻に「題しらず」として収められ、『百人一首』にも入る歌。

6件の感想

小野小町『古今和歌集』春下113番、『百人一首』9番

小野小町は9世紀ごろの平安前期の歌人で、六歌仙の一人に数えられる。生没年はわからない。その名はいまも日本で美しい女性の代名詞とされる。この歌は『古今和歌集』春の下巻の113番に置かれ、のちに『百人一首』の9番に採られた。古今集の並びから、花は桜と読まれる。

「花の色」は桜の色であると同時に自らの容色を指し、「ふる」は世に経ると雨が降る、「ながめ」は物思いにふけることと長雨を掛ける。「世」には男女の仲の意もある。物思いに沈み、春の長雨が降りつづくうちに、桜の色も我が身の盛りもむなしく移ろってしまった、という歌意である。花の歌の姿をとりながら、過ぎた時と自分自身への嘆きを詠む一首である。

本の虫 · 2016年5月12日
「ながめ」に長雨と眺めの両方をかける技。何語にしても胸が締めつけられます。
名もなき読者 · 2018年10月3日
花の色は移りにけりな。学生時代に暗記した一首を、珈琲片手に再会できて嬉しいです。
窓辺の読者 · 2020年7月21日
色あせる花と、いたづらに過ごした日々が一つの情景に。手帳に書き写しました。
みどり · 2022年3月9日
庭の花がまさにこの通りでした。千年前の歌が自分の一年を言い当てるとは。
K.佐藤 · 2024年9月14日
読書会で小町伝説と一緒に読みました。噂話より、歌のほうがずっと長生きですね。
朝寝坊 · 2026年1月28日
長雨の灰色の日は、いつもこの歌に戻ってきます。遠い人に分かってもらえる不思議な慰め。
想像力は知識よりも大切である。
— アルベルト・アインシュタイン(1929年)

1929年の取材で、知識より想像力を頼むのかと問われての答え。

1件の感想

アインシュタイン談『サタデー・イブニング・ポスト』1929年10月26日号

聞き手は、フォッシュやフロイトらにも取材した米国の詩人で記者のヴィーレックで、言葉は彼の記録による。アインシュタインは直観とひらめきを信じると語り、相対性理論を試すために二つの観測隊が出たとき、結果は自分の仮説と合うと確信していたと述べる。知識より想像力を頼むのかと問われ、自分は想像力を自由に汲みとれる程度には芸術家だと答えてこの言葉を続けた。

記録はさらに、知識には限りがあるが想像力は世界を包むと続く。1931年の『宇宙的宗教』に載る形は、想像力を科学研究の実際の要因とも呼ぶ。学ぶことを退ける言葉ではなく、まだ確かめられていない仮説を信じて先へ進む力として、科学者が想像力を語ったものである。

T.O. · 2023年12月18日
半分は反論したくなります。知識も大事です。でも結局、机の前に貼ってしまいました。
人生は自転車に乗るようなものだ。バランスを保つには、動き続けなければならない。
— アルベルト・アインシュタイン(1930年)
8件の感想
山田 · 2016年5月14日
机の前に貼っています。進まなければ倒れる、という当たり前のことを、毎朝そっと思い出させてくれます。
本の虫 · 2016年10月2日
自転車に乗れるようになった日のことを思い出しました。止まると怖い、でも進めば平気だった。
名もなき読者 · 2017年7月9日
受験生の娘に見せたら『先生みたいなこと言う』と笑われました。でもノートにはしっかり書き写していました。
T.O. · 2018年12月21日
アインシュタインがこんな優しい言葉を残していたとは。物理より心に効きます。
みどり · 2020年6月6日
一年以上ここを読んでいます。落ち込んだ朝はいつもこの一言に戻ってきます。ありがとうございます。
朝寝坊 · 2022年2月18日
『動き続ける』が今日はしんどい。でも、のろのろでも前には進んでいる、と思うことにします。
青い栞 · 2023年9月30日
授業の導入で紹介しました。自分の言葉で言い換えてごらん、と言ったら良い作文がたくさん出ました。
K.佐藤 · 2025年1月11日
何年も前にこのブログを見つけて、まだ通っています。短い言葉ほど長く残りますね。
私が遠くまで見渡せたのだとすれば、それは巨人の肩の上に立っていたからだ。
— アイザック・ニュートン(1676年)
4件の感想
本の虫 · 2017年4月18日
論文の冒頭に引用しました。自分一人の成果などないのだ、と背筋が伸びます。
T.O. · 2019年8月8日
実はニュートン自身も先人の言葉を借りていたとか。そのこと自体がこの言葉を証明していて面白い。
窓辺の読者 · 2021年12月1日
恩師の顔が次々に浮かびました。たくさんの肩の上に立っていたのですね。
みどり · 2024年3月22日
ゼミで紹介したら、学生が自分の『巨人』を書き出す課題を自主的に始めました。
私はただ、海辺で遊ぶ少年にすぎなかったように思う。目の前には、真理の大海が手つかずのまま広がっていたのだ。
— アイザック・ニュートン(1727年頃)
2件の感想
青い栞 · 2019年5月4日
あれほどの人が、自分を浜辺の少年にすぎないと言う。謙虚さの底知れなさに打たれます。
名もなき読者 · 2022年8月30日
真理の大海、という言葉が好きです。知れば知るほど、知らないことの方が広がっていく感じ。
私は、科学には大きな美しさがあると考える者の一人です。
— マリー・キュリー(1933年)
3件の感想
みどり · 2017年10月12日
理科の教員です。美しさと科学は対立しない、と生徒に伝える勇気をこの言葉からもらっています。
ことり · 2020年4月5日
周期表は詩だと思っています。キュリー夫人も同じことを言ってくれている気がして嬉しい。
山田 · 2023年11月18日
合格のためではなく、美しいから学ぶ。そんな理科の時間があってもいいですね。
実験室の科学者は、単なる技術者ではない。おとぎ話のように心を打つ自然現象を前にした、一人の子どもでもあるのだ。
— マリー・キュリー(1933年)
かくも単純な始まりから、限りなく美しく、限りなく驚くべき無数の形態が生まれ、そして今もなお生まれ続けている。
— チャールズ・ダーウィン(1859年)
3件の感想
本の虫 · 2018年5月11日
『種の起源』の最後の一文ですね。科学の中でいちばん寛大な文だと思います。
ことり · 2021年6月3日
苗を植え替えながら読みました。まさに、限りなく美しい無数の形。
窓辺の読者 · 2024年2月20日
『生まれ続けている』という現在形がいい。わざと扉を開けたまま終わらせたのですね。
あえて一時間を無駄にする者は、まだ人生の価値を知らぬ者である。
— チャールズ・ダーウィン(1836年)
第一の原則は、自分を欺いてはならないということ。そして最も欺きやすい相手は、ほかならぬ自分自身なのだ。
— リチャード・ファインマン(1974年)
7件の感想
名もなき読者 · 2016年3月9日
良い思考のすべてが一文に収まっている。『自分はどこで自分を欺いているか』と問う癖がつきました。
山田 · 2016年9月22日
卒業式での講演だったと思います。あの話の全文は、一日かけて読む価値があります。
T.O. · 2017年11月30日
自分が正しいと確信しているときほど、この言葉を手元に置いています。特にそういうとき。
朝寝坊 · 2019年6月18日
確証バイアス、という言葉が流行るずっと前に、たった一文で言い切っている。
本の虫 · 2021年2月14日
批判的思考の授業で紹介しました。ある生徒が試験前に手に書いていた。答えのためでなく、誠実さのために、と。
みどり · 2023年7月11日
少しだけ反論を。自分を疑いすぎて直感を信じられなくなるのも困りものです。要はバランスでしょうか。
青い栞 · 2025年12月1日
みどりさんへ。でも、そこが肝だと思います。欺いているかもしれないからこそ直感を検証する。不信ではなく規律ですね。
何かの名前を知っていることと、そのものを本当に知っていることの違いを、私はごく早くから学んだ。
— リチャード・ファインマン(1988年)
4件の感想
窓辺の読者 · 2017年3月8日
自分の教え方を、いちばん良い意味で覆されました。生徒は骨の名前を全部言えても、何も分かっていなかった。
ひばり · 2018年4月29日
料理本のおかげで、ソテーとポワレの違いは説明できるようになりました。私が作ると、どちらも同じ味です。
ことり · 2020年8月21日
お父さんが鳥を使ってこれを教えたそうですね。何カ国語で名前を知っていても鳥のことは何も知らない、と。素敵な話。
K.佐藤 · 2023年12月4日
暗記は理解ではない。耳が痛く、そしてありがたい一言です。
自然は最も長い糸だけを用いてその模様を織り上げる。だからこそ、その織物のどんな小さな断片にも、綴れ織り全体の構造が現れているのだ。
— リチャード・ファインマン(1964年)
私たちは星の物質からできている。
— カール・セーガン(1973年)
5件の感想
ことり · 2016年7月2日
たった一行で、どんな嫌な一日も小さくしてくれる。中学一年生に教えると、毎回ため息が漏れます。
本の虫 · 2018年9月19日
歯のカルシウムも、血の鉄も、すべて星で作られた。いまだにその大きさを掴みきれません。
名もなき読者 · 2020年5月6日
科学に縁のなかった祖母にこれを話したら『そりゃそうだろうさ』と。学位のいらない真理もあるのですね。
みどり · 2022年11月28日
弟を見送るときに、この言葉を読みました。不思議と、いちばん慰めになりました。
青い栞 · 2025年1月30日
眠れない夜に何年も前このブログを見つけ、最初に読んだのがこの一言でした。今でも一番好きです。
私たちのような小さな生き物にとって、この広大さに耐えられるのは、ただ愛によってのみである。
— カール・セーガン(1985年)
4件の感想
みどり · 2017年3月27日
結婚式で読んでもらいました。定番ではないけれど、これ以上の言葉はなかった。
T.O. · 2019年10月15日
セーガンのいちばん優しい一面。宇宙のすべてを語って、最後は愛に行き着く。ノートに書き写しました。
山田 · 2021年7月9日
天文を教えています。毎年、最後の授業はこの言葉で締めます。教室がいつも静かになります。
ことり · 2024年11月21日
空が大きすぎると感じる夜に、この一文に掴まっています。
宇宙は私たちの内にある。私たちは、宇宙がみずからを知るための一つの術なのだ。
— カール・セーガン(1980年)
8件の感想
名もなき読者 · 2016年2月20日
父を見送った年に、この言葉に出会いました。宇宙の一部なのだと思うと、別れもどこか続いているように感じられます。
山田 · 2016年11月5日
手帳に書き写して、もう何年も持ち歩いています。落ち込んだ日にそっと開くページです。
本の虫 · 2017年8月12日
セーガンの言葉は、こわいくらい大きいのに、なぜか優しいですね。
窓辺の読者 · 2018年10月1日
夜、ベランダから空を見上げながら読みました。自分の悩みが小さく、でも大切に思えてきます。
T.O. · 2020年4月18日
外に出られない日々のなかで、この一文に救われています。部屋は狭くても、空はつながっている。
みどり · 2021年9月9日
本当に宇宙が『自らを知る』のかは分かりません。でも、そう信じて生きるほうが、私は好きです。
朝寝坊 · 2023年3月3日
燃え尽きて何も見たくなかった時期を抜けて、また毎朝ここに戻ってきました。おかえり、と言われた気がします。
青い栞 · 2025年12月24日
十年近く、毎朝読んでいます。今日は娘に贈ります。
解析機関は、ジャカード織機が花や葉を織り出すのとちょうど同じように、代数の模様を織り上げる。
— エイダ・ラブレス(1843年)
想像力とは発見の能力である。それは私たちを取り巻く目に見えぬ世界、すなわち科学の世界へと分け入ってゆく。
— エイダ・ラブレス(1841年)
2件の感想
ことり · 2018年6月14日
『発見の能力』という言い方が好きです。想像は逃避ではなく、前へ進む力なのだと励まされました。
K.佐藤 · 2021年2月2日
四十を過ぎて研究の道に飛び込みました。無謀かと思っていましたが、この言葉に背中を押されています。
鉄は使わなければ錆びる。それと同じように、活動を怠れば精神の力は衰えてゆく。
— レオナルド・ダ・ヴィンチ
4件の感想
朝寝坊 · 2016年9月1日
何もできなくなっていた時期に読みました。治りはしませんでしたが、その晩、皿を洗えました。小さな一歩です。
本の虫 · 2018年4月20日
リハビリ中に理学療法士からほぼ同じことを言われました。心も錆びるのですね。まず体を動かす。
みどり · 2020年11月11日
少し違う気もします。休むことは『使わない』ことと同じではない。燃え尽きて学びました。でも普段の日には真実です。
窓辺の読者 · 2023年7月7日
毎朝ここを読むのが、錆びないための私の小さな習慣です。
哲学は、私たちの眼前につねに開かれているこの壮大な書物、すなわち宇宙のうちに書かれている。
— ガリレオ・ガリレイ(1623年)
2件の感想
本の虫 · 2021年5月23日
この続きに『その言葉は数学である』とあるのを思い出しました。短くても、空を見上げることについて一番好きな一節です。
つぐみ · 2025年2月11日
数式はさっぱりですが、星の位置が先月から少しずれているのは見て分かります。それだけでも一頁めくれた気がします。
この世はすべて舞台、人はみな男も女も役者にすぎない。
— ウィリアム・シェイクスピア(1599年頃)
4件の感想
山田 · 2016年7月19日
祖父の葬儀で、この『人生の七段階』の台詞を読みました。笑いと涙が同時に来て、きっと祖父もそれを望んだはずです。
名もなき読者 · 2019年3月30日
昔は暗い言葉だと思っていました。自分らしくない仕事を辞めてから、役を変えてよいという許しのように読めます。
青い栞 · 2021年10月2日
読書会で『お気に召すまま』を読みました。学生時代から知っている台詞が、突然胸に落ちるのが不思議です。
K.佐藤 · 2024年2月11日
今年、定年を迎えました。『役者にすぎない』が、今はむしろ身軽に感じられます。
おのれ自身に忠実であれ。
— ウィリアム・シェイクスピア(1600年頃)
8件の感想
名もなき読者 · 2016年2月14日
言ったのはポローニアスで、彼はおしゃべりな俗物です。それでも言葉は語り手を超えて残る。良い知恵とは、そういうものかもしれません。
本の虫 · 2016年12月1日
家族に打ち明けた年に、この言葉を支えにしました。後悔はありません。
みどり · 2018年5月20日
回復の始まりに、支えてくれる人からこの言葉をもらいました。いちばん簡単で、いちばん難しい教えです。
山田 · 2019年9月9日
マグカップに印刷されていると、つい冷やかしたくなります。でも、つらい日には不意を突かれる。
T.O. · 2021年3月3日
三十年続けた家業を離れました。父はしばらく口をききませんでした。確かだと思えたのは、この一行だけでした。
窓辺の読者 · 2022年11月23日
少しだけ付け加えたい。自分に忠実であることには優しさが要ります。そうでなければ、ただの言い訳になってしまう。
ことり · 2024年6月18日
大学へ発つ娘に贈りました。あきれた顔をされましたが、たぶん届いています。
青い栞 · 2026年2月10日
ここで毎朝読むようになって十年。壮大な言葉のなかで、いちばん素朴なこれが残りました。
心の優しさにまさる魅力はない。
— ジェーン・オースティン(1815年)
4件の感想
みどり · 2016年6月5日
『エマ』の一節ですね。オースティンは、いちばん本当のことを、さりげなく横から差し込みます。
窓辺の読者 · 2017年12月20日
夫を亡くしたあと、周りは私を『強い』と褒めました。でも、本当に勇気がいるのは優しさのほうだと気づかせてくれました。
ことり · 2020年8月8日
鋭さばかりが評価される世の中で、私は柔らかさを選び続けています。オースティンが味方でうれしい。
名もなき読者 · 2023年4月27日
読書会で読んだら、三人が涙ぐみました。優しさを弱さと教えられて育った人ばかりでした。
美は世界を救う。
— フョードル・ドストエフスキー(1868年)
3件の感想
本の虫 · 2018年3月11日
『白痴』のムイシュキン公爵の言葉ですね。文脈を知ると、いっそう痛切に響きます。
朝寝坊 · 2021年9月24日
調子の悪い日には信じられません。でも、まあまあの日なら命がけで擁護します。今日はまあまあの日です。
つぐみ · 2021年12月3日
いつもは払う蜘蛛の巣が、霜で白く光っていました。世界を救う美も、大げさなものではない気がします。
幸福な家庭はどれも似かよっているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である。
— レフ・トルストイ(1875年)
5件の感想
山田 · 2016年3月12日
『アンナ・カレーニナ』の全てが一文に。しかも冒頭に置くあたり、警告はしたぞ、と言わんばかりです。
K.佐藤 · 2017年9月2日
三十八歳でカウンセリングに通い始め、一年かけて我が家特有の不幸を解きほぐしました。トルストイは診断料を取りませんね。
みどり · 2020年1月20日
やんわり反論を。幸福な家庭も似てはいません。ただ、その苦労を静かにこなしているだけです。離婚と再婚を経て、ようやく分かりました。
窓辺の読者 · 2022年6月30日
今年、再婚して二つの家族を一つにしています。『それぞれに不幸』がかつては脅しに思えましたが、今は自分たちの形を作る自由に感じます。
名もなき読者 · 2024年10月14日
親と過ごしたつらい休暇のあとに読み返しました。不幸がせめて独創的だと思うと、妙に慰められます。
知るだけでは足りない、それを用いなければならない。望むだけでは足りない、実行しなければならない。
— ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1829年)
十分な食事をとらなければ、人はよく考えることも、よく愛することも、よく眠ることもできない。
— ヴァージニア・ウルフ(1929年)
私たちは皆どぶの中にいる。それでも、星を見上げている者もいる。
— オスカー・ワイルド(1892年)
3件の感想
名もなき読者 · 2016年5月12日
通勤電車の窓に映る自分の顔の向こうに、ほんの少し星が見えた気がしました。この言葉のおかげです。
窓辺の読者 · 2019年10月2日
若い頃は皮肉だと思っていました。歳を重ねて、やさしい言葉だったと分かります。
みどり · 2023年1月8日
落ち込んだ夜に何度も読み返しています。どぶの中にいてもいい、と許されたようで。
偉大であるとは、誤解されることである。
— ラルフ・ウォルドー・エマソン(1841年)
2件の感想
本の虫 · 2020年7月21日
この一文を言い訳にしないよう気をつけています。でも、折れそうな日には支えになります。
ひばり · 2021年3月14日
誤解されるたびに偉大さに近づくのなら、私はもうかなりいいところまで来ています。
情熱なくして成し遂げられた偉業は、いまだかつて一つもない。
— ラルフ・ウォルドー・エマソン(1841年)
私が森へ行ったのは、思慮深く、心して生きたいと願ったからである。
— ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1854年)
8件の感想
朝寝坊 · 2016年3月3日
名前のとおり朝が苦手でしたが、この一文に背中を押されて、夜明け前に散歩を始めました。もう何年も続いています。
山田 · 2016年8月19日
森はありません。小さなベランダと鉢植えが二つだけ。それでも『心して生きる』はできる気がします。
名もなき読者 · 2017年11月5日
読書会でウォールデンを取り上げました。小屋に移りたい人と、スマホを引き出しにしまいたい人と半々。どちらも正解でしょうね。
みどり · 2019年5月14日
庭仕事の手を止めて、ただ土の匂いをかいでいました。『心して生きる』とは、こういう時間のことかもしれません。
窓辺の読者 · 2020年9月27日
毎朝同じ道を歩く父を、昔は退屈だと思っていました。今はそれが祈りのようなものだと分かります。
青い栞 · 2022年2月11日
落ち込んだ季節にこのブログを見つけ、少しずつ過去の言葉を読んでいます。森から始めるのがふさわしい気がしました。
本の虫 · 2023年7月30日
この一文を手帳の最初のページに書き写しました。迷ったら戻ってくる場所です。
ことり · 2025年12月6日
夜明け前、鳥より先に起きてお茶を淹れる。たったそれだけで、一日が自分のものになります。
私たちの人生のすべての竜は、美しく雄々しい私たちの姿をただ一度でも見たいと、待ち望んでいる王女なのかもしれません。
— ライナー・マリア・リルケ(1904年)
4件の感想
青い栞 · 2017年4月9日
怖いもののほうが、実は味方なのかもしれない——リルケにそう言われると、少しだけ前に進めます。
名もなき読者 · 2019年2月18日
転校前夜の娘に読んで聞かせました。『美しく雄々しい』役は私がやる、と娘が。はい、どうぞ。
みどり · 2021年11月1日
手帳に書き写してから何年も経ちますが、必要なときにいつも戻ってきます。
T.O. · 2024年6月22日
一度でいい、というところが好きです。いつもでなくていい。それならできる気がする。
希望とは羽をもつもの、魂にとまるもの。
— エミリー・ディキンソン(1862年頃)
6件の感想
ことり · 2016年5月8日
名前のとおり小鳥が好きです。毎朝、窓の外の一羽を見てこの言葉を思い出します。
名もなき読者 · 2018年3月19日
とまるだけ。巣は作らず、居続けるとも約束しない。希望について、これほど正直な言葉はない気がします。
みどり · 2020年9月2日
庭にアザミを植えました。鳥のためです。植えながらずっとこの詩が頭を流れていました。
青い栞 · 2022年1月14日
いちばんつらい夜、『羽をもつもの』とだけ繰り返していました。小さくても、まだ何かが生きている気がして。
窓辺の読者 · 2023年11月27日
姉を見送る会で、この一節をみんなで読みました。あとまで覚えていたのは、やはりこの行でした。
朝寝坊 · 2025年6月30日
鳥より先に起きて、その一羽を待っています。この詩が、このブログでいちばん好きです。
私は可能性のなかに住まう。
— エミリー・ディキンソン(1862年頃)
私はあるがままに存在する。それで十分だ。
— ウォルト・ホイットマン(1855年)
2件の感想
名もなき読者 · 2018年6月4日
たった一行なのに、信じられるようになるまで何十年もかかりそうです。
T.O. · 2022年9月16日
鏡に貼っています。つらい時期の、小さな薬です。
旅は、偏見や頑迷、そして心の狭さにとって致命的である。
— マーク・トウェイン(1869年)
3件の感想
山田 · 2017年4月12日
言葉の通じない土地を鈍行で旅して、少しだけましな人間になって帰ってきました。トウェインの言うとおり。
名もなき読者 · 2020年10月5日
飛行機の切符すらいらないのかもしれません。知らない町、知らない市場、思いがけない会話。同じ薬です。
本の虫 · 2023年3月28日
トウェインがいちばんやさしく放った皮肉。そして、いちばん必要な人に向けられている。
世界はすべての人を打ち砕く。そしてその後、多くの者は打ち砕かれた場所でこそ強くなる。
— アーネスト・ヘミングウェイ(1929年)
4件の感想
名もなき読者 · 2017年8月2日
長いあいだ信じられませんでした。でも何かから回復したとき、まさにその場所で強くなっていました。しぶしぶ、ヘミングウェイの勝ち。
青い栞 · 2019年6月19日
後半だけを胸にしまい、前半は置いていきます。『打ち砕かれた場所でこそ強くなる』——それだけで一年を越せます。
みどり · 2021年1月27日
『多くの者』であって『すべて』ではない。そこが正直だと思います。砕けたままの場所があってもいい。
窓辺の読者 · 2024年10月14日
リハビリの先生にこの言葉を返されました。正しくて、ちょっと悔しかった。
真の発見の旅とは、新しい景色を求めることではなく、新しい目を持つことにある。
— マルセル・プルースト(1923年)
教育こそ、私たちが世界を変えるために用いることのできる最も強力な武器である。
— ネルソン・マンデラ(2003年)
2件の感想
K.佐藤 · 2019年4月9日
数年間、大人向けの夜間クラスを教えました。この一文が標語ではなく、教室のなかで本当になる瞬間を何度も見ました。
名もなき読者 · 2023年9月2日
相手を自分より強く武装させてしまう、唯一の武器。手渡すほどに増える武器、というのが好きです。
弱き者は決して人を赦すことができない。赦しとは強き者の徳である。
— マハトマ・ガンディー(1931年)
5件の感想
名もなき読者 · 2016年2月9日
この冬にこのブログを見つけて、今も毎朝読んでいます。この一言には何度も救われました。
山田 · 2017年8月14日
強さの証というのは分かるのですが、どうしても赦せない夜があるのも、弱さではなく正直さではと思うことがあります。
本の虫 · 2020年5月3日
母と長く仲違いしていました。この言葉を手帳に書き写して、やっと電話をかけられました。
T.O. · 2022年11月20日
赦すことと忘れることは違う、と最近思います。覚えたまま赦す。それが一番難しい。
みどり · 2025年1月28日
毎朝の楽しみです。今日のはしばらく心に留めておきます。
私たち自身が変わることができれば、世界の趨勢もまた変わるだろう。
— マハトマ・ガンディー(1913年)
何人にも悪意を抱かず、すべての人に慈愛を。
— エイブラハム・リンカーン(1865年)
8件の感想
山田 · 2016年1月20日
演説の締めくくりの一節ですね。戦争の終わりを目前にした人の言葉だと思うと、重みが違います。
窓辺の読者 · 2017年6月5日
誰にも悪意を抱かず、というのは理想ですが、日々の暮らしでこれを守るのは本当に難しい。
青い栞 · 2018年10月11日
この一文を机の前に貼っています。腹が立ちそうになると、一度見上げます。
名もなき読者 · 2019年4月30日
毎朝ありがとうございます。今日の言葉は保存しました。
K.佐藤 · 2021年3月17日
美しい言葉ですが、裏切られた相手にもこう言えるかと問われると、正直、自信がありません。
朝寝坊 · 2022年12月2日
寝坊してもこのページだけは開きます。今日のは特に沁みました。
本の虫 · 2023年9月8日
読書会で取り上げました。寛容は弱さか強さか、一時間議論しても結論は出ず。
ことり · 2025年7月22日
手帳に書き写しました。ガンディーの赦しの言葉の、すぐ隣に。
成功しようとする自らの決意こそが、他の何にもまして重要であることを、常に心に留めておきなさい。
— エイブラハム・リンカーン(1855年)
3件の感想
T.O. · 2017年2月11日
資格試験の勉強机に貼っていました。才能より続ける決意、本当にその通りでした。
みどり · 2021年5月19日
決意だけでは乗り切れない日もありますが、それでもこの言葉には背中を押されます。
窓辺の読者 · 2024年8月3日
毎朝の一言、今日のは受験生の娘に見せます。
闇が闇を追い払うことはできない。それができるのは光だけだ。憎しみが憎しみを追い払うことはできない。それができるのは愛だけだ。
— マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1963年)
5件の感想
本の虫 · 2016年7月14日
説教集の一節ですね。全文を読むと、この言葉の重みがさらに増します。
青い栞 · 2018年11月9日
追悼の集まりで朗読されていました。ろうそくの灯りとこの言葉、今も忘れられません。
山田 · 2020年3月21日
美しい言葉ですが、愛だけで世の中が変わるわけではないとも感じます。行動が伴ってこそ、ではないでしょうか。
名もなき読者 · 2022年5月30日
今日のは子どもに読み聞かせます。けんかをして帰ってきた夜に。
古書好き · 2024年9月8日
手帳に書き写しました。暗い気持ちのときに開くページが、一つ増えました。
正しいことを行うのに、ふさわしくない時など決してない。
— マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1964年)
2件の感想
朝寝坊 · 2019年4月2日
短い言葉ですが、難しい話を切り出す前に鏡の前でつぶやくのにちょうどいい。
T.O. · 2023年10月17日
正しいことを行う時は、確かにいつでも。ただ何が正しいかを見極めるほうが、ずっと難しいですね。
自分にはできないと思うことを、あなたはやらねばならない。
— エレノア・ルーズベルト(1960年)
4件の感想
みどり · 2016年9月14日
200人の前での初めての発表に、この言葉をメモに貼って臨みました。手は震えましたが、やりきれました。
窓辺の読者 · 2019年7月5日
エレノアは好きですが、「ねばならない」は少し重い。できないと思うことの中には、やらない方がよいものもある気がします。
まひる · 2021年2月28日
毎年一月、抱負の代わりにこの言葉を読み返しています。そのほうが長続きします。
本の虫 · 2025年6月11日
怖くて先延ばしにしていた電話を、今朝この言葉を見てかけました。
幸福は目標ではなく、副産物である。
— エレノア・ルーズベルト(1960年)
ひとりでできることはわずかだが、力を合わせれば大きなことを成し遂げられる。
— ヘレン・ケラー(1922年頃)
3件の感想
K.佐藤 · 2017年3月8日
地域の図書館づくりがまさにこの言葉通りでした。たくさんの手で、一棚ずつ。
山田 · 2020年8月19日
素敵な言葉ですが、一人で黙々と仕上げてから分かち合う仕事もあります。「共に」だけが道ではない気もします。
ことり · 2023年12月2日
読書会のノートの最初のページに書き写しました。私たちにぴったりです。
闘いなくして、進歩はない。
— フレデリック・ダグラス(1857年)
5件の感想
本の虫 · 2016年4月30日
奴隷解放の演説の一節ですね。「力は要求なくして何も譲らない」という続きが、また鋭いのです。
朝寝坊 · 2018年10月11日
今日はこれが必要でした。同じ壁の前で何か月も足踏みしていたので。
青い栞 · 2020年6月5日
少し異論を。すべての苦しみが進歩になるわけではない気がします。ただの苦労を、後から成長と呼んでいることも。
T.O. · 2022年11月20日
ダグラスが言ったのは、自ら選んだ闘いのことだと思います。あらゆる苦難ではなく。
みどり · 2025年9月8日
手帳に書き写しました。キング牧師の言葉の、すぐ下に。
正しきを行うためなら誰とでも手を結び、不正を行うためなら誰とも手を結ばない。
— フレデリック・ダグラス(1855年)
自分自身に自信がなければ、人生という競走で二重に敗れることになる。
— マーカス・ガーベイ(1923年)
1件の感想
新緑 · 2022年5月19日
受かるとは思えなかった面接の朝に読みました。もう受かったつもりで入ったら、少しだけ楽になりました。
誰かの雲間にかかる虹になろうとしてごらんなさい。
— マヤ・アンジェロウ(2008年)
5件の感想
名もなき読者 · 2016年3月12日
この一行に救われました。この冬にここを見つけて、今も毎朝そっと開いています。
みどり · 2019年9月5日
職場で誰かに少しだけ優しくできた日は、この言葉を思い出します。虹になれたかは分かりませんが。
山田 · 2021年2月18日
娘の卒業に添える言葉を探していて、ここに辿り着きました。もう何年も通っています。
T.O. · 2023年11月30日
雲ばかり見上げていた自分に気づかされました。今日からは少し上を。
窓辺の読者 · 2025年6月22日
古い記事を遡っていて再会しました。変わらずここにあること、ありがたいです。
幾多の敗北に遭おうとも、決して打ち負かされてはならない。
— マヤ・アンジェロウ(1983年)
4件の感想
本の虫 · 2017年7月19日
負けることと、打ち負かされること。その違いをここで教わった気がします。
朝寝坊 · 2020年1月8日
受験に二度落ちた年に読みました。三度目の春に受かりました。今でも時々戻ってきます。
K.佐藤 · 2022年5月14日
職場の壁にそっと貼っています。誰も気づきませんが、私にはよく効いています。
青い栞 · 2024年12月3日
古い投稿から順に読み返しています。この言葉が、今の私にちょうどよかった。
勤勉は幸運の母である。
— ミゲル・デ・セルバンテス(1605年)
楽園とは一種の図書館のようなものだと、私はずっと想像してきた。
— ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1977年)
11件の感想
本の虫 · 2016年1月25日
もしそうなら、私は毎週末そこへ通っていることになります。
名もなき読者 · 2016年7月8日
図書館で働いています。館内の掲示にこの一文を使わせてもらいました。立ち止まる人がいます。
青い栞 · 2017年10月19日
ボルヘスは失明してから国立図書館長になったそうですね。そう知ると、この言葉の奥行きが変わります。
佐々木 · 2018年4月2日
@青い栞 まさに。『書物と夜』という詩を思い出しました。
ことり · 2019年9月14日
本を読まない息子に見せたら、『どの図書館?』と。小さな一歩です。
T.O. · 2020年2月27日
読書会の冒頭でこれを朗読しました。終わったあと、静かな拍手が起きました。
みどり · 2021年11月6日
私ならその図書館に小さな庭を足したい。ボルヘスは許してくれるかしら。
窓辺の読者 · 2022年5月30日
引用帳に書き写しました。以前載せてくださったキケロの言葉の隣に並びました。
朝寝坊 · 2023年8月21日
スペイン語の名言目当てに来て、いつのまにかボルヘスに居ついてしまいました。
K.佐藤 · 2024年7月13日
近所の図書館が来月で閉まります。今夜この言葉を読んで、少しだけ泣きました。
山田 · 2026年1月30日
年明けに古い記事を全部読み返しています。ここが私のいちばん好きな場所です。
時は私をさらってゆく河だ。だが、私こそがその河なのだ。
— ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1946年)
4件の感想
青い栞 · 2017年6月11日
後半で視点がひっくり返るところが好きです。何度も読み返してしまいます。
T.O. · 2019年3月22日
ヘラクレイトスを思い出しました。流されながら、流れそのものでもある。
名もなき読者 · 2021年10月4日
四十の誕生日に読みました。二つの行が同時に腑に落ちた瞬間でした。
ことり · 2024年12月31日
毎年、大晦日に戻ってきます。時はさらい、私がその河。
愛はかくも短く、忘却はかくも長い。
— パブロ・ネルーダ(1924年)
6件の感想
ゆり · 2016年4月19日
『二十の愛の詩』の一節ですね。十九の頃に全部覚えて、今も時々口ずさみます。
朝寝坊 · 2017年8月30日
別れた夜に読みました。タイミングが残酷です。でも、必要でした。
本の虫 · 2019年5月14日
愛は短く、忘却は長い。この引き算だけで一篇になってしまうのですね。
みどり · 2021年1月27日
祖母の本に線が引いてありました。家を片づけていて見つけて、また出会えました。
名もなき読者 · 2023年10月12日
少しだけ異を唱えると、忘れられることが救いの時もあります。それも短い。でも、名句です。
青い栞 · 2026年1月18日
ネルーダの週に、過去記事を遡って来ました。やっぱりここが沁みます。
私はあなたと、春が桜の木々にするようなことをしたい。
— パブロ・ネルーダ(1924年)
1件の感想
さくら · 2018年4月3日
満開の桜の下で、結婚式の誓いに使わせてもらいました。花びらが舞って、まるで示し合わせたよう。載せてくださって感謝します。
旅人よ、道はない。道は歩くことによってできてゆく。
— アントニオ・マチャード(1912年)
8件の感想
山田 · 2016年2月20日
昔この詩が歌になっていますね。もう口ずさまずには読めません。ご存じの方いますか。
けんじ · 2016年8月5日
@山田 分かります、あの曲ですね。父の葬儀で流しました。『道は歩くことによってできてゆく』が、ちょうどよかった。
みどり · 2018年4月14日
同じ仕事を三十年。それでもこの言葉は、許しのように響きます。
本の虫 · 2019年9月28日
長い巡礼の道を、これを胸に歩きました。道は本当に、歩くうちにできていく。
さとみ · 2021年3月15日
博士課程を辞めました。計画なし。冷蔵庫にはこの一行だけ。二年経って、まだ歩いています。
K.佐藤 · 2023年1月26日
マチャードは亡命の末、歩いて国境を越えた数日後に亡くなったそうです。言葉と生涯が韻を踏んでいる。
窓辺の読者 · 2024年11月9日
今朝、引用帳に書き写しました。ボルヘスの図書館の下に。私の二大お気に入りが一頁に並びました。
名もなき読者 · 2026年2月2日
このブログを十年読んでいます。いちばん多くの人に送った記事が、これです。ありがとう。
おのれの夢に値する者であれ。
— オクタビオ・パス(1950年頃)
1件の感想
たく · 2019年5月21日
短い一行に、一生分の宿題が詰まっています。今年のノートの最初の頁に書き写しました。
孤独とは、人間という存在の最も深い真実である。
— オクタビオ・パス(1950年)
3件の感想
青い栞 · 2017年10月15日
パスはこれ一つで一冊書きましたね(『孤独の迷宮』)。この行で足が止まるなら、読む価値があります。
はると · 2020年3月29日
ひとりきりで家にこもっていた時期に読みました。不思議と、少し孤独が和らぎました。
名もなき読者 · 2022年12月18日
孤独と寂しさは違う。私にとっては、そこに全てがあります。見分けられるまで何十年もかかりました。
習慣に陥ることは、存在することをやめ始めることだ。
— ミゲル・デ・ウナムーノ(1912年)
私たちは数多くの過ちと欠点において罪深い。しかし、私たちの最悪の罪は、子どもたちを見捨てることである。
— ガブリエラ・ミストラル